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タバコ (煙草 たばこ) Tabaco >>関連項目一覧


タバコは、もともと南北アメリカ先住民族が栽培していたもの。 紀元前から南、中央アメリカ、北アメリカのミシシッピ川流域にまで裁培されていたようだ。
スペインが1500年代に進めた植民地化の時の情報では、これらの草葉は、 キューバではタバコtobacco、ハイチでコハバkohaba、 メキシコでイェトルyetl、ブラジルでペツムpetumといわれていたらしい。

1492年、コロンブスのアメリカ到達(新大陸発見)時、北アメリカ北部と南アメリカ南端を 除く9割以上の地域で栽培されて喫煙されていたという。
その後、ヨーロッパやアジアへ、全世界に広まった。

マヤ人はたばこの葉には神の精霊が宿ると信じ、 宗教的行事にたばこの葉を神聖なものとして使用した。神殿にその香煙を供えた。 喫煙で得られる香気と陶酔がこの扱いを生んだ。これはシャーマン的な立場のものが 用いる幻覚作用のある植物等に近い扱いだろう。
喫煙は神官の特権で、大量喫煙による昏睡状態でいう言葉は神の予言と信じられ、 神官が吐く煙は、精霊の力で人間から悪魔を払い、病気を治癒すると信じられた。
隣接したトルテカやアステカにもタバコは伝播しており、やはり儀礼や治療に使われていた。喫煙できる立場にも制限があった。

北アメリカでは、葦のパイプ等を用いて煙を吸い、これは暦や農業の節目の祭り、儀式 などで行われた。「煙草の祈願」として知られる。
カルメットcalumetという語も使われるが、 これは「葦のパイプ」を意味するフランス語が、最初マイアミ民族やイリノイ民族が使っていたものを指していたのが アメリカ・インディアンの儀礼的煙草用具すべてを指すようにかわっている。

タバコ、特にパイプを使っての喫煙の習慣は火を使うようになってからのものと思われる(嗅ぎたばこもあるが)。
アメリカ先住民以外でも、古代ギリシャや中国などで薬草、香草をあぶるなどして煙や香りを薬、治療に使ったり、 古代の蒸気風呂で香草を使うなど、似たような例はみられる。ただし、たばこという植物の効能が 喫煙というやり方と最も効果的に結びついたといえるだろう。

1492年10月12日、スペイン王室の援助を得たコロンブスはバハマ諸島のサン・サルバドル島に上陸し 島民と品物の贈答をすると、もらった品のなかに乾燥した大きな葉があり、また部下の報告では、 キューバ島の島民が火のついた棒(葉巻たばこ)と薫香(くんこう)に使う草(葉たばこ) を手にしていたという。後にたばこの医薬としての効果、風習が知られた。

スペインが1513年に北アメリカのフロリダに植民地をつくり、先住民のパイプ喫煙を発見。 1519-21年の間で中央アメリカのユカタン半島に達してアステカを滅ぼした。 首都では国王が銀製のパイプで優雅に喫煙する姿を、商店街では葉たばこと彩色した 土製のパイプ、たばこ用の香料を売っている姿が見られた。
その後スペインでは原始的な葉巻が喫煙風習となったが、他の国へはこの風習をあまり伝えていなかった。

1499年に喜望峰を通ってインド航路を発見したポルトガルは、東洋まで通商する貿易国で、 1500年西インド諸島方面に向かった船団が暴風で漂着したブラジル沿岸の地方一帯を植民地とし、タバコを知った。
呪術師がヒョウタンでつくった奇妙なパイプで喫煙、呪術を行っていたとの報告がある。
1540年代、この地方の植民者の交易品にたばこが含まれていたという。
ポルトガルは、フランス、イタリア、東洋方面にたばこを伝えている。日本にもポルトガルから1500年代頃伝わったという。

フランスの黄金獲得を狙った探検で、1533年から2度にわたりカナダのセント・ローレンス湾〜モントリオールの 山岳地を訪れた記録に、先住民のパイプ喫煙があった。

日本では、タバコは、「煙草、烟草、丹波粉」等の字をあてる。また糸煙(しえん)、相思草(そうしそう)、 返魂草(はんごんそう)などとも。南西諸島では、忘れ草、思い草とも。これらは 憂さを忘れさせてくれるたばこが、古くからの忘れ草の名に結び付いたようだ。
日本に渡来すると急速に全国に広がり、慶長年間(1596-1615)には奥州まで伝わった。
各地で階層によらず老若男女の喫煙風景がみられた。ほかの国と同様に 江戸幕府が「諸病平癒のためといいながら反(かえ)って悶絶す」「キセルというもので煙を吹くが無益である」と 禁煙令をたびたびだしたが効果はほとんどなかった。江戸中期にはたばこを 運上金や冥加金(みょうがきん)の名目で課税の対象にし、タバコの栽培を奨励していった。 古文献によると、たばこを伝えたのは南蛮船(ポルトガル船)で、彼らは初め葉を巻いて吸っていたが、 やがて吸管を持参して吸うようになった。その名をきせるという、わが国もこれに倣い銅鉄でつくる。 1615年(元和1)の記録では「キセルの中間に竹を用う、この竹をラウという」とある。 ポルトガル船は、インドのゴアを基点に、マラッカ、マカオを経て長崎へ入港していた。 きせるがカンボジア語、 ラウはラオス語で、葉たばこはマカオがフィリピンから輸入していたので、この方面で得たものを日本へ伝えたのであろう。 種子の伝来は諸説あるが、1601年(慶長6)フランシスコ会の司祭ジェロニモが、 伏見で徳川家康に面会し、フィリピン産の種子を献上したのが確実な記録。徳川家康は東南アジア方面との貿易を 進めて朱印船を渡航させたが、フィリピン群島からの帰航船のなかにはたばこを輸入する荷主もあって、 1605年には近畿方面でにわかに喫煙が流行し始めた。初めは輸入品で高価なため、喫煙は武士と裕福な町人に限られていたが 大量輸入と国内でタバコの栽培が始まり庶民にまで広まる。
日本語で「一服する」とはタバコを吸うことだが、それが休憩する、一休みする、という意味にもなっている。

フランス、ドイツ、イタリアでもタバコが薬などとして伝わり広まっていき、王やローマ法王のもとにもとどくが、 禁止したり、税金をかけたり専売になったりした。

トルコでは、厳しい刑罰があり、コーランの 教義に反するとして、鼻の両方の穴へパイプを突き刺し、ロバに乗せて市中を引き回した。 喫煙者は死刑と同時に全財産を 没収された。やがて王室の財産増加を目的に行われるようになったという。
イランでは、禁煙令の違反者を捕らえると、溶解した鉛をのどの中に注ぎ込んだ。
ロシアでは鼻の穴を縦裂きにして笞(ムチ)打ち刑にし、改心しない者は シベリアへ追放して全財産を没収した。

中国へは1565年スペインがフィリピン群島を占領してたばこを栽培し、中国の福建省人が本国へ紹介したらしい。 中国でも喫煙の初期には禁煙令が出て、 違反者は処罰され、たばこは没収された。軍隊でも同様だったが 没収タバコは国境守備軍の悪疫予防用に回されたが、禁煙令もそのうち効力がなくなった。
「人ついに酒に代え茶に代え終日喫煙するも飽きず」といったようだ。

現代においては健康に有害だということから喫煙習慣は徐々に自由ではなくなり、2000年代にはいると 分煙、禁煙、歩きタバコの禁止など、 ますます厳しくなっている。

参考資料
・世界宗教事典 (青土社)
・日本大百科全書 (小学館)


 
関連項目一覧
アマルフィ 【イタリア:港,都市】
アメリカ先住民族 【文化地域項目】
【大項目】

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